20130617

小さな頃のルール、私の狭い世界のルールを思い出してみたら、普段刺激されない箇所が刺激されてよいと思った。これはきっといつも使ってない脳みその場所を使ってる。って信じてる。いっこは、文字とか色にキャラクター設定をつけるというやつだ。それで勝手に物語を始める。たのしい。もいっこは、文字が怖い。道路のミラーの注意って文字こわい。山本山の海苔の缶の山本山こわいというやつ。まだありそうだけどちょっと脳みその違うところが働かないのでここまで。お腹すきすぎだ

漫画を描くとき小説を読むとき、カメラワークを考えてる。無意識に映像で考えてる。自分で描く漫画は物語ありきで、次にネームを切るときには、言葉よりも先にカメラワークを考えるので、台詞が上手く入らないことがよくある。未熟ともいう。人が書いた小説を読むときも映像で読むから、頭の中で映像化しやすい文章を書かれたり、文章の間が合う作家さんが読みやすいなーとおもうのだと思う。それは簡単な言葉で綴られているとか、難しい言葉ばかりだとか、そういうこととは全く関係がないから不思議で面白い

20130615

まだ小さな子供だった頃、ベッドのうえは船で、ベッドのしたは海だった。海にはワニがいて、それは今思うとすごくおかしいけど、でもとにかくピーターパンに出てくるワニみたいなワニがいた。ベッドの上にはお気に入りの本とかお菓子とかお人形とか、冒険に必要だと思うものをみんな乗せた。朝が来て夜が来て、横になって眠るふりをして、そしたらまたすぐに朝が来た。朝ごはんを作ったり、釣りをしたり、楽しい船旅だった。ベッドの上がこんなに楽しいものだとか、家の床が一瞬で海になる気持ちとか、急に思い出した。想像力だけでこんなに楽しかったことをなんでわすれてしまっていたんだろう。押し入れだって、倉庫だって、段ボールだって、みんな秘密基地だったのに、すっかり忘れてた。なんでだかわからないけど、今急に思い出したのは、たぶん今の私に必要なものだからだとおもった。わくわくした

20130614

シンプルに生きたいと思っているのにシンプルにならないのは自分の生き方にも原因があるかもしれない。自分1人でシンプルに生きたいと思っても、他の人間と絡み合うのが人生だから難しい。どうでもいいのになぁと思っても、相手が立ちはだかる場合は、頑張っても避けられない。受け止められるかなと初めは思ったけど、もう限界だから、そうなったら後は、自分は自分でいるしかない。

今までは誰にも言わなかったこと、あまりにもひどかったら周りにも相談してみよう。

でも私にひとつ原因があるとすれば、あまりにも忙しくて疲れてしまったから、いつもだったら何とも思わないことで、例えば仕事のやり方とかで嫌になってしまって、相手を拒絶したとおもう。それがにじみ出てしまったから、相手がそれを受け取り、受け取った相手は呆れられたと思うのが嫌でシャッターを閉めた気がする。傷つく前に、なるだけ早く。閉めた上で、何でもないような風を装って私を遠ざけようとしてる。でも相手の言っていたことややっていたことはとても理不尽とおもう。仕事だけならよかったのにね。きっとお互い疲弊しきってしまったのだろう。近くにいる相手が嫌になってしまったんだな

人間関係が鏡だとしたら、相手のこと考えるのやめて、自分をみなくては


20130611

フェアであることがこんなに辛くてストレスなら、フェアであることをやめちゃおうかなって思う。意地が悪い人には意地悪になろうかなって、でもフェアでありたいことにしがみついてる私はそこでまた葛藤する。ほんとはすごい意地悪な気持ちもわかるから

本当は体に出るくらい嫌いなのに

夜が来る速度。朝が来る速度。

地球がずっと陸続きで、車に乗って一直線に走り続けられるとしたら、その車の中はずっと夜であり続け、そしてずっと朝は来ないのだろうか。朝から逃げ続ける事が出来たなら、時は止まったまま、みたいな感覚になるのかな

20130605

現実と一ピクセルも違わずに絵を描いてもやっぱり写真と違うのかな。それってインクジェットのプリンタみたいだけど、やっぱり違うかな。あと絵みたいな写真ってどんなのだろう

20130602

他人の無知や失敗に対して物凄く馬鹿にした態度を取る人って、自分が知らないこととか間違えることが怖いのかなとおもった。完璧主義なのかなとも思うけどその割に特に完璧ではなくてただ自分に甘いだけのような気もするし、でも何にしろ、知らないこと間違えることにいちいち敏感な人は疲れるから苦手だな。いちいちそこからなのっておもう。知らないことあってもいいし、知りたかったら勉強して知ればいいし、知らない人がいたら教えてあげればいいし、知らなかったら教えてもらえばいいじゃんって。それだけのことじゃないのかしらと私はおもう